町史かわら版(19)
−浪岡町史編集所感−
〜別巻Uの編集を終えて〜
『浪岡町史』別巻Ⅱの編集にあたった三浦貞栄治先生から編集所感をいただきましたので紹介します。
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別巻Ⅱの編集内容について浪岡独自のものとして何を資料に組み入れるか苦慮するところでありました。
今日まで採用されてきている歴史的資料は当然取り入れるべきという意見があり、浪岡八幡宮の棟札ほか町内すべての棟札を悉皆調査することになりました。担当者が1枚1枚ていねいに調査した棟札209枚の報告がそれであります。県内では最初の試みでした。
また、地域の庶民生活に関する資料も調査して記録しようではないかということになり、故郷浪岡の特色を生かしたものを選びました。庶民の生活史を学問的に究明しようというのは、明治時代に柳田国男という学者が提唱した民俗学に始まります。そして近年、県内の各市町村史や県史の中にも組み入れられています。『浪岡町史』においても当初からこの新しい分野採用の提言があり、斬新な内容を取り入れることになりました。
集落のはずれにある庚申塔や百万遍塔など、1つの石塔にも歴史があり、私たちの生活を支えてきた貴重なものであることを特記しておきたいと思います。
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資料調査中の 三浦貞栄治編集委員 |
茅葺きの住家が少なくなったことで、屋根葺き技術の記録保存の必要性が叫ばれているなか、数少ない伝承者である北中野の長谷川
喜代治氏の協力を得て、屋根裏へつき通すハリやマンガリの扱い方などいろいろな技を何日間にもわたって
教えてもらいました。このほか昔から私たちの生活に欠かせなかった木炭の焼き方の技術も、炭焼き体験講習で体験、聞き取りをしてその技術の記録を残すことにしました。
昭和29年(1954)合併以前の各地区の規約も貴重な資料として組み入れました。沖萢節約規約や細野村水車組合規約などは、地区の会合で現物を提示しながら説明して頂きました。県内でも珍しい類いのものといえます。
町内各地域を調査しているとそれぞれの地区に歴史があることがよくわかり、それらを整理し、閲覧できる企画が必要であると感じました。それが明治22年(1889)からの新聞記事の抜粋と写真資料であります。浪岡町の将来を考えると、故郷に関するこれらの資料は、必ずや生かされる時が来るのではないかと思っております。
この別巻Ⅱは、巻末の協力者一覧を見て頂ければわかるように町内の各寺社や各町内会の皆様などの協力があっての刊行であり、執筆者各位と町民が一体となっての作品であると考えております。末永く町民の生活記録として愛読されることを願っています。
『広報なみおか』平成16年(2004)10月1日号に掲載