「弘前藩庁日記」と動物、ちょっと縁がないように見えますが、結構記事が多いのです。以下、鷹と狼と白ねずみのお語。
下十川の十川袋には俵沼ほかいくつかの御鳥屋があり、鷹侍の者が鷹を捕らえて飼育していました。大名が鷹狩を好んだのです。享保年間(18世紀前期)に下十川地域の鷹に関する記述が多いのは、将軍吉宗の武芸奨励政策と結びつくのかも知れません。弘前の藩庁では郡奉行や鷹匠が、少しでも多く鷹を集めるように指示しています。
次は狼。げにおぞましいお話です。享保21年(1736)正月9日の条に、
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下十川大沼袋 |
一 倒死人一人、年齢五十位。 下十川村の道路から五十間 (約100m)ほど奥まった百 姓孫次郎の屋敷の外、柳の 下で発見された。冬の風が 吹く季節に倒れたものと見 られ、雪の下になっていた 遺体を狼が掘り出し、顔や 頭などを疵(きず)付けて いた。代官と庄屋が検分し て…。
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(左)享保21年正月9日(中)享保7年3月11日(右)享保20年9月7日 |
という報告があります。吹雪の中で道に迷った行倒れの男。狼が掘り出して疵つけた遺体、見つけた村人の驚きには察するにあまりあるものがあります。それにしてもこの時代、狼の暴れ方は激しいものでした。自然環境のバランスが崩れたためなのでしょうか。
一方ではこんな記事もありました。
一 浪岡組の代官が申し出た。 自鼠一疋、増館組樽沢村の 百姓伊右ェ門が家の中でと ったので献上…。
享保7年(1722)3月11日の記事です。この時の褒美はなんと米3俵、つがるロマン小売価格で7万円、結構高額です。このほか野馬や熊の記事もあります。いずれ取り上げることにいたしましょう。
【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】
『広報なみおか』平成12年(2000)5月1日号に掲載
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