あおもり今・昔9

木賃宿

 昭和10年代、今の合浦町のあたりを「西門町(にしもんちょう)」と呼んだことがあった。それは合浦公園の西門に面しているからだったが、今のように家は建っておらず大半は野原で、子どもたちが虫を捕ったり、駆けっこをしたものであった。
 その一画に通称「十軒町」といわれるところがあった。おそらく長屋風に建てられた家並があったことから、その呼び名が付けられたのだろう。
 そこから少し海手に、中川という「木賃宿(きちんやど)」があった。野原の中にポツンと二階建ての正方形に近い建物だった。
 「木賃宿」とは、旅をする物売りとか、芸人の人たちが泊まる所であるが、宿泊する部屋代・寝具料を払って、炊事は用具を借りそれぞれ自炊する仕組みになっていて、その際に燃料代を払うことから付けられた名称であった。夕方ごろ、そこに行くと、建物の外でそれぞれが七輪や石油缶を切ったコンロの様なものに、木炭や木片を燃料にして炊飯の支度をしている風景が見られたものであった。おそらく、その日に稼いだ金で求めた材料で食事の支度をしていたのであろう。
 これとは別に、そのころ市内のあちこちには「○○長屋」と家主の名を付けた棟割(一棟の建物を区切って)の長屋があったもので、その一画の中央には共同井戸(古くは釣瓶井戸、その後はポンプ井戸)が設けられていた。名物の「ベッコウアメ売り」も栄町にあった熊沢長屋の住人で、「食べておいしいベッコウアメ」・・・「ハイ、また売れた」というふれ声は人々になじみの深いものだった。
【民俗部会調査協力員 三上強二】

※『広報あおもり』1997年12月1日号に掲載


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