あおもり今・昔8

映画と福祉

 県営浅虫水族館に新しく「海獣館」が開設されるという。これはラッコを観察できるというもののようであるが、この「海獣館」で思い出すのが、空襲で市内の約90パーセントが消失した戦後の青森市民に、活気をもたらしたと言える『最初の映画館』のことである。
 それは戦時中、魚油採集の工場を利用して相馬町に開業した。当時の市民は娯楽を求めて、まだ魚油臭が残っている所で長い木の腰掛けに座って鑑賞していた。映画が終わって(夜1回の上映であった)の帰途、街灯のない道を通ったものである。
▼青森活動写真常設館
青森活動写真常設館
▲東奥日報社「写真青森県百年史」より
 県内で最初に映画(当時は活動写真と言った)による興行をしたのは、弘前の佐々木という人で、孤児院経営のための事業として始めたが、後には常設の「慈善館」を営業した。
 これと同じ目的を持った映画館が、大正2年に新町にあった「青森活動写真常設館」である。今井という人の経営によるものであるが、「常設館」と呼ばれ市民に親しまれた。館は、青森駅に近く、通りからアーチ風の門を入った奥にある青いペンキで塗った建物であった。経営者の今井氏は市内藤田組通りに「今井同情園」を設けて、孤児収容事業もしていた。
 また、そのころ同じく孤児を収容する施設として、新城石江(当時は新城村)に「青森学園」があった。いずれの施設も経営者の情熱と善意によって運営されていたわけで、これもまた現在の福祉事業の先駆けとなったと言えよう。
【民俗部会調査協力員 三上強二】

※『広報あおもり』1997年11月15日号に掲載


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