浪岡北畠氏の足跡(8)
〜霧山城と北畠神社〜
今回は、伊勢国司家北畠氏の足跡を巡ることにしましょう。
伊勢国に入った北畠顕能は、標高620mの霧山の頂上に、山城を築きました。興国3年(1342)ころのことと伝えられています。なお伊勢国司家の普段の居城は霧山城の東南の麓、現在北畠神社がある地点に営まれました。所在地は、三重県一志郡美杉村です。
霧山城への道筋のうち、整備されているのは、北畠神社から城跡を通り比津峠におりる散策路です。歩いてみると、比津峠側から尾根づたいに行く方が斜面は急ですが短距離であり、時間も20分強で楽に感じました。もっとも北畠神社側から登ると、郭や堀の跡とみられる遺構が確認でき、比津峠からと違った面白さがあります。
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霧山城 |
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北畠神社 |
霧山城は尾根に直角に掘った2本の空堀で区切った3つの郭のほか、少し離れた地点に鐘撞堂跡のある独立した郭があります。何か梵珠山を思い起こさせる遺構の名称で、現地にたたずむと、親しみを感じるのです。
3つの郭は主郭の左右に、矢倉のあった郭と、米倉のあった郭からなっています。
あまり大きくない主郭の周囲には土塁が残り、記念碑が3本あります。なお、史跡に指定されたのは昭和11年(1936)、そのころ浪岡城も指定を受けようと運動を展開していました。
地形的に見ると、北畠顕信が拠点とした、福島県の宇津峰城に似た感じがします。南北朝時代(14世紀中期)の山城の共通点なのでしょうか。はたまた顕信・顕能の父、親房の指導によるものなのでしょうか。
霧山城の麓にある北畠神社の祭神は、北畠顕能のほか親房・顕家ら。境内の北畠氏の居館跡は、現在浪岡城のように発掘調査が行われており、中世最古の石垣が発見されています。
印象的な朱塗の社殿の左手には、北畠氏の庭園があります。池を囲む石庭で、枯山水の部分もあります。豪快な庭園は、織田信長と対決した室町末期の北畠氏の姿を示すものといえましょう。
美杉村へは松坂からJR名勝線に乗り竹原・比津・伊勢奥津駅下車。連絡の村営バスは回数が少ないので、美杉村役場に問い合わせが必要です。(次回は船越と北畠氏)
【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】
『広報なみおか』平成11年(1999)11月1日号に掲載