『新撰陸奥国誌』は明治9年(1876)に完成した青森県の地誌です。西南戦争の前年、まだ江戸時代の姿がよく残る時代の記録です。今回はこの本に述べられている女鹿沢・野沢地区の村々の事柄をまとめたいと思います。
増館村の家数は56軒、弘前街道に面しており「商店あり四方田圃にして其土地は下の下」と記しています。増館村の北には古十川村34軒、下十川村45軒があり、その先には目鹿沢村が続きます。女鹿沢とも書くむね記されたこの村の家数は150軒、浪岡村とならぶ大村でした。商工業がまじり、村の周囲は田、地味は中の中と述べています。付近には佐野村20軒、赤茶村25軒がありました。
浪岡川の西側をみていきましょう。松枝村は52軒、「東は山にして三方は開け田は少なく畠は多し、土地は中位にして耕耘を専とす」と記しています。松枝村は佐野・赤茶村とともに、明治10年代前半に目鹿沢村に合併されています。
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「新撰陸奥国誌」の地図(部分) |
【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】
『広報なみおか』平成8年(1996)5月1日号に掲載
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