明治11年(1878)8月、イギリスの大旅行家イザベラ・バードは、碇ケ関から黒石を経て浪岡に入り、大釈迦峠を越えて青森に向かいました。47歳の彼女は、その時の見聞を『日本奥地紀行』に記しています。浪岡に関係ある部分を紹介しましょう。
「黒石から青森までの旅は…道路が悪かったために…塩魚を重く積んだ駄馬の通行で道は泥沼と化していた。」「農業を営む部落の様子はますますひどくなってきた。家屋は粗末な土の家で、横に穴を開けて光をいれたり、煙を出したりしている」、「その(この旅行の)最後の峠は浪岡にあった。津軽坂(鶴ヶ坂)というところであった。」
彼女は豪雨のあとの悪路に苦しみました。人力車が泥にもぐり、たびたび降りなければならなかったのです。また、家屋や食品など、浪岡付近の生活の様子をよく観察しています。
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明治30年頃の民家(鶴ケ坂付近) |
【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】
『広報なみおか』平成7年(1995)9月1日号に掲載
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