![]() 青森市内にも、前期の熊沢遺跡、水天宮遺跡をはじめとして、中期の近野遺跡、三内沢部遺跡、三内遺跡、蛍沢遺跡、そして前期から中期にかけての拠点的大集落である三内丸山遺跡など、円筒土器文化期の遺跡が多数あることが知られている。
三内丸山遺跡は、県営野球場建設に先立ち平成4年から発掘調査が行われている。それまでは中期の集落遺跡であることは分かっていたが、この調査で前期からすでに大規模な集落が営まれていたことが初めて明らかにされた。主な遺構として、竪穴住居跡・大型住居跡・貯蔵穴・墓・捨て場などが見つかっている。特に捨て場からは、動物や魚の骨・植物の種子・花粉・昆虫・寄生虫卵などが出土しており、それらは当時の生活の様子や環境を考える上で貴重な資料である。そして、中期になると集落は最も繁栄する時代を迎える。 【考古部会執筆編集員 岡田康博】 ※『広報あおもり』1998年7月1日号に掲載 |
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