![]() 当時の自然環境は、気温が高く、海水面は上昇しており、現在私たちの多くが住んでいる青森平野は、水面下であったと考えられている。 さて、縄文時代早期のムラの構造であるが、人々は竪穴住居に居住しており、その形は円形・方形で、長軸は約3〜4メートルの大きさであった。柱は住居の長軸に沿った2本の柱で構成され、住居の中に炉は設置されていなかった。そのため、当時の調理については、屋外で行われていたものと考えられている。
さらに、縄文時代早期の遺跡からは、動物の骨で作った骨角器( これらのことから、縄文時代早期は、食生活に変化が見られ、漁労文化と呼ばれてもいいほど海に依存していた時期といえよう。 次回は、縄文時代早期の青森市はどのようであったのかを述べてみたいと思う。 【考古部会執筆編集員 成田滋彦】 ※『広報あおもり』1998年6月1日号に掲載 |
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