あおもり今・昔22

縄文時代早期のあおもり

 三内丸山遺跡は国の史跡に指定され、青森市民の誇りの遺跡であるが、三内丸山遺跡(約4千5百年〜6千年前)以前の時期である縄文時代早期の青森市域は、どのような姿であったのだろうか。
 現在、市内で発見されている遺跡は290か所(10年3月現在)で、そのうち縄文時代早期の遺跡は8か所が確認されており、いずれも市域南側の標高10〜20メートルの丘陵地帯にある。
蛍沢遺跡から出土した縄文時代早期の土器
▲蛍沢遺跡から出土した縄文時代早期の土器
 その一つ、蛍沢遺跡(現在の戸山団地内)から、底がとがった形で表面に貝の文様を全面に描いた土器が多く出土している。また、石器は扁平な(れき)(小さい石)に穴をあけた有孔石器(ゆうこうせっき)製品が出土しており、護符として使用されたものと考えられている。
 当時の生活の痕跡としては、直径1メートル前後、深さ30〜60センチメートルの円形の穴が発見されており、貯蔵穴(ちょぞうけつ)に使用されたものと思われる。
 早期の住居跡は、市内では未だ発見されていないが、津軽海峡を挟んだ函館市の中野B遺跡では、同時代の大集落が発見されている。
 市内でも今後の発掘調査で、三内丸山遺跡以前の縄文時代早期の大集落の発見が、期待されているところである。
【考古部会執筆編集員 成田滋彦】

※『広報あおもり』1998年6月15日号に掲載


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