多くの都市は、そこを流れる「川・河」を中心として形成され、発展してきた。 かつて川は、交通の主要路であり、また流通の手段でもあり、文物の交流にとって重要な役割を果たしてきた。だからというわけではないにしても、それらに関係する用語に「流」が使われている。 本市の中央を流れる『堤川』も、かつては船・人・物の往来で賑わいを見せていた。河口には多くの船が係留されていて、川をはさんだ両岸の地域は、商家や今で言うレジャー施設があった。また藩政期には「旭橋」(別名“弁慶橋”・・・橋の欄干に 堤川は、かつて横内城主「 それらが埋め立てられ、そこに建ったのが「ガラス工場」で、最初は佐々ガラス工場、その後下流部分の埋め立て地に高橋ガラス工場(現在の北洋ガラス)ができたのである。 【民俗部会調査協力員 三上強二】 ※『広報あおもり』1997年9月1日号に掲載 |