あおもり今・昔31

亀ヶ岡文化の貝塚(かいづか)

 亀ヶ岡文化(縄文時代晩期)を築いた人びとが、どのような物を食べていたかを知るためには、貝塚を調べてみるとよく分かる。
 貝塚は、人びとが貝殻やごみ類などを捨てた場所で、貝殻に含まれるカルシウム分が酸性の土壌を中和するために、普通の遺跡では腐ってしまうような貝類や骨などの有機質が良好な状態で保存されている。
 野内にある「大浦貝塚」は、亀ヶ岡文化の貝塚としてよく知られている。県内の縄文時代の貝塚は、八戸市・三沢市などの太平洋岸に集中し、50か所以上確認されているが、亀ヶ岡文化の貝塚は非常に少なく、陸奥湾南岸では大浦貝塚1か所だけである。
昭和43年の大浦貝塚での調査風景
▲昭和43年の大浦貝塚での調査風景
 大浦貝塚からは、アワビ・レイシ・タマキビなどの岩礁性の貝類のほか、ボラ・マグロ・サバ・マダイ・カレイなどの魚類、ウミガラス・アホウドリなどの鳥類、タヌキ・シカ・イルカ・クジラなどの哺乳類が発掘され、シカの角で作った釣針も発見されている。なお、発掘されたクジラの骨は、昭和52年の正月に野内の海岸にクジラが漂着した例があるように、いわゆる「寄り鯨」であったと思われる。
 また、この貝塚では塩作りも行われていた・・・というのも、海水を煮詰めるための製塩土器の破片が多数発見されたからである。塩作りによって食料の塩漬け保存が簡単にできるようになり、この地域に住む人びとの食生活は、格段に向上していったものと思われる。塩作り遺跡は陸奥湾岸に集中しているが、作られた塩は、生活に欠かせない大切な食品として、山間部の集落などとの交易物資にもなっていたと考えられる。
【考古部会執筆編集員 福田友之】

※『広報あおもり』1998年11月1日号に掲載


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