ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第177号(2015年9月25日配信)
ここから本文です。
更新日:2017年3月9日
こんにちは!室長の工藤です。
今回は、「青森」という地名に関する話題を一つ。
「青森」という地名は、青々と茂った「小高い森」に由来するといわれています(『青森市の歴史』1989年など)。実際、藩政時代の記録にも「高サ一丈余(約3メートル)之森有之」とあるので、これを「小高い森」と解釈するのは妥当だと思います。
ただ、ここで少し気になるのは「森」を一般的にイメージする「木がたくさん生い茂っている所」(『岩波国語辞典』)と理解していいかどうかという点にあります。つまり、このような意味での「森」を「小高い(高サ一丈余)」という「高さ」で表現するでしょうか。むしろ、「小さな森」というように「広さ」で表現するのが通常ではないでしょうか。もちろん、ここでの表現を「小さな森」としてしまうと、史料の解釈としては間違いですが。
では、「森」にほかの意味はないのでしょうか。そこで、『日本国語大辞典』第2版を繰ってみると、津軽地方の方言として「土地の小高い丘」という意味を載せています。典拠は、『青森県方言訛語』という本です。残念ながらこの本を確認することはできませんでしたが、菅沼貴一編『青森県方言集』(1935年初版)によりますと、南部地方では「丘」をモリといい、津軽でも「土の小高いところ」をモリコと言うとありました。なるほど、「森」を「丘」の意味で解釈すると、「小高い」という「高さ」で形容しても違和感はありません。
ただ、「丘」の意味を持つ「森」が、藩政時代まで遡ることができるかという問題がつぎに出てきます。膨大な藩政時代の史料を読んでいくのは大変なことですが、手掛かりが一つあります。明治42年(1909)に刊行された『青森市沿革史』の著者である葛西音弥(かさい・おとや)は、この「高サ一丈余之森有之」の記録を読んでいる可能性が極めて高く、そして「森」を「小邱(ちいさい丘)」と解釈しています。葛西は天保10年(1839)生まれの弘前藩士で、藩校稽古館の教師を務めた人物です。その彼が「森」を「小邱」と解釈しているのですから、藩政時代の津軽地方で「森」は「丘」という意味も持っていたという蓋然性は高いと思います。
葛西音弥先生碑(合浦公園)
また、藩政時代以来の「青森」の地名の由来(伝承)については、「青森縁起」という名称で一般に知られていたようです。ところが、これが葛西によって大きく書き換えられることになりました。「青森」を「青い丘」と解釈したという点は学ぶべきところではありますが、歴史的な背景を持たないままに伝承を書き換えてしまい、しかもそれが現在の「通説」的な理解になっている点は少々残念なところです。
問合せ
より良いウェブサイトにするために皆さんのご意見をお聞かせください。
Copyright © Aomori City All Rights Resereved.