ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第170号(2015年8月7日配信)
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更新日:2017年3月9日
昨日、夏の甲子園とも呼ばれる全国高等学校野球選手権大会が開幕しました。この大会は全国中等学校優勝野球大会として大正4年(1915)に始まり、今年で100周年を迎えます。今年の青森県代表は県立三沢商業高校ですが、青森市から初めて甲子園に出場したのはどの学校だったのでしょうか。調べてみると、昭和2年(1927)の第13回大会に出場した青森県師範学校(校舎は浪打地区にありました)であることがわかりました。
青森県師範学校の校舎(大正期、歴史資料室蔵)
この年、全国中等学校優勝野球大会の地方大会は青森県・秋田県・山形県から10校が参加して奥羽予選大会として行われました。青森県からは青森県師範学校のほか、青森中学校(現青森高校)、青森県立商業学校(現青森商業高校)、弘前中学校(現弘前高校)、八戸中学校(現八戸高校)が参加しています。大会は7月30日から4日間の日程で、浜館村の佃野球場を会場に行われました。この大会で青森県師範学校は前年の優勝校である八戸中学校を破り、準決勝で秋田中学校、決勝で秋田県師範学校に勝利して甲子園への切符を手にしています。
青森県師範学校と佃野球場の位置
(「昭和二年青森市勢一覧」、昭和3年、歴史資料室蔵)
試合後、青森県師範学校の楠美主将は、大会優勝を「久慈先生のコーチの賜(たまもの)」であると話しています。青森師範学校では函館太洋(オーシャン)倶楽部の久慈次郎選手(青森市生まれ)をコーチとして招き、7月3日から7日まで指導を受けていたのです。社会人野球の世界で活躍する選手から指導を受けたことは、部員たちの自信につながったそうです。
そして、青森県師範学校は8月13日(大会1日目)の開幕試合で札幌第一中学校(現北海道札幌南高校)と対戦することになり、8月9日の早朝、大阪へ向けて出発しました。試合は、青森県師範学校が先制したものの途中で追いつかれ、延長12回の末、残念ながら敗れてしまいました。
試合には敗れましたが、実は、青森県師範学校はこの試合で大会の歴史に残る「日本初」を経験しています。
この試合のようすはJOBK(現在のNHK大阪放送局)によってラジオで実況中継されたのですが、これはなんと日本初の野球中継だったのです!しかも、スポーツ中継としても日本初なのだそうです。現在では当たり前になっている野球中継ですが、その誕生の瞬間に青森市の球児たちが立ち会っていたとは驚きですね。
※今回の内容は『放送の20世紀』(2002年、日本放送出版協会)、『東北の高校野球2』(2014年、ベースボール・マガジン社)などを参考にしました。
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