ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第155号(2015年4月24日配信)
ここから本文です。
更新日:2017年3月9日
こんにちは。嘱託員の村上です。先週に引き続き図書館についてお話ししたいと思います。今回は青森市民図書館のルーツというべき青年倶楽部図書部の歴史をご紹介します。
青年倶楽部図書部は明治32年(1899)12月に発会式を挙げ、翌年1月に市民に公開されました。青年倶楽部とは三橋三吾、川口栄之進、淡谷忠蔵、花田節、浦山助太郎、木村文太郎らによって明治31年5月に組織されたもので、図書部は青年倶楽部の附属事業として、代表である三橋の自宅に設けられました。
三橋三吾(『青森市史』別冊 人物編より)
三橋は図書部の事業拡大に努め、明治35年に淡谷清蔵(忠蔵の父)が所有する米町の家屋へ移転し、明治37年には図書館としての設備が整ったことから私立青森図書館と改称します。この時、三橋は役員に推薦されますが、それを辞退して実務にあたり、更に仲間とともに私立青森図書館を市立図書館にするための仕事にも取りかかりました。
そして、私立青森図書館は明治40年3月に青森市へ寄附され、翌月文部大臣の認可を受けて青森市立図書館として開館しました。初代館長を務めたのは浪岡村出身の阿部次郎でした。ちなみに、阿部次郎の兄は大正時代に青森市長(第7代・9代)を務めた阿部政太郎で、政太郎の息子には画家の阿部合成がいます。
しかし、この市立図書館は明治43年5月3日に起きた大火により建物と蔵書を失い、休館状態となってしまいました。
大正4年(1915)9月に再開した図書館については「あおもり歴史トリビア」第50号・56号・64号でご紹介しましたが、大野村にあった帝室林野管理局の建物(現在の古川小学校の場所)を利用して開館しました。その後、市立図書館は大正14年に橋本(現在の橋本小学校の場所)へと移転し、昭和3年(1928)に県立図書館が整備される際に蔵書を寄附して閉館しています。
青森市の図書館に関する歴史については、まだ興味深い話があるようです。それは次の機会にご紹介します。
※今回の内容は『青森市史』第一巻 教育編(1954年 青森市)、『青森県立図書館史』(1979年 青森県立図書館)などを参考にしました。
問合せ
より良いウェブサイトにするために皆さんのご意見をお聞かせください。
Copyright © Aomori City All Rights Resereved.