ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第136号(2014年12月5日配信)
ここから本文です。
更新日:2016年1月8日
こんにちは。12月に入り雪が降り続き、山々は一面銀世界ですね。
八甲田山麓の北西部標高553メートルの雲谷峠付近に、青森商業銀行頭取だった2代目大坂金助氏が雲谷住民と親交し、昭和9年(1934)頃スキー愛好者のためにヒュッテを建設したことが、雲谷スキー場のはじまりといいます。
|
|
そのスキー場に、イシダスポーツの石田治男氏がロープトウを設置、昭和34年12月、雲谷スキー場がオープンし、約4万人のスキーヤーが利用し賑わいました。これにより、市にリフト架設等の市民要望があり、市で翌年9月15日からスキーリフトの工事に着工し、12月に竣工しました。日本で初めて設計されたものといわれ、その規模は、ポールがコンクリート造りで、リフトの全長304メートル、人を乗せるための搬器(はんき)46台、1時間の輸送能力は約360人というものでした。また、ヒュッテも8棟完備されました。この時のリフト料金は、一般1人1回30円(現在は250円)、こども1人1回15円(現在は200円)でした。
昭和30年代の雲谷スキー場
(青森市経済部商工課『あおもり』、昭和36年発行、市史編さん室蔵)
ところが、昭和40年代になると自動車社会到来による駐車場問題や、県内や隣県の大型スキー場の登場により、市民から不満が目立ち始め、次第に利用者が減少しました。
市では市民の足を再び雲谷に向けさせるため、平成6年(1994)から同9年10月まで、総工費約70億円をかけてレジャー施設「モヤヒルズ」を整備完成させました。ゲレンデは土地を拡張造成し、初級者から上級者まで満足のいくコースが造られ、リフトは、高速の4人乗りコスモスクワッドリフトをはじめ4基、ロープトウが2基造られました。コースの長さや幅も広がり、子どもから高齢者まで楽しめるものになりました。
|
|
|
|
トンケイコースから市街地を望む
冬季以外にも子どもから大人まで楽しめる総延長1,546メートルのローラールージュ「ヒルズサンダー」を設け、周辺にコスモスが植えられました。ほかにオートキャンプ場、ケビンハウス、テニスコート、フリークライミングなどの施設があり、四季を通じて楽しめるようになりました。また、すばらしい自然景観に恵まれ、リフト頂上からみる市街地や陸奥湾、ナイターでの夜景は、感動を誘います。
|
|
ヒルズサンダーのコース
コスモス迷路入口
|
|
コスモス迷路
|
|
|
|
コスモスとヒルズクラブ
来週12月13日(土曜日)には、モヤヒルズのオープンが予定されていますので、ゲレンデにシュプールを描いてみませんか。
※今回のトリビアは、『新青森市史』通史編第4巻現代、『広報あおもり』(第36号)などを参考にしました。
|
|
ゲレンデから陸奥湾を望む
|
|
|
|
問合せ
より良いウェブサイトにするために皆さんのご意見をお聞かせください。
Copyright © Aomori City All Rights Resereved.