ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第8号(2012年5月25日配信)
ここから本文です。
更新日:2015年6月1日
皆さんこんにちは、嘱託員の竹森です。今回はまずビッグニュースがあります。成田本店の「週間ベストセラー」で、『新青森市史』通史編第2巻近世がなんと第4位にランクインしました!
編さん室スタッフ一同、大変喜んでおります。これも市民の皆様のお力添えのおかげです。
さて、最近また地震が多くなってきていますが、今週は青森でも大きな地震が発生しましたね。幸い目立った被害は無かったようで安心しましたが、災害はいつ起こるか予測がつかず大変怖いものです。では、江戸時代の青森で起きた災害はどのようなものがあったのでしょうか。今回はその中から、火災の事例について見ていきましょう。
安政6年(1859)5月21日、青森町で大規模な火災が発生しました。大火の多かった青森町ですが、特にこの安政大火の被害は大きく、浜町の豪商滝屋の記録には「未聞之大火」であると表現されています。
大火による被害は1800軒であったともいいます。当時の青森町の戸数が約2000軒であることからすると、なんとその9割にもおよぶものであり、青森町は立ち直りが不可能なほどの打撃を受けました。
安政大火の被災範囲(地図は筆者作成)
※より大きい地図はページ下の添付ファイルをご覧ください。
滝屋の記録から当日の様子を見ていきますと、5月21日の夕方、浜町の中心部で発生した火は、激しい東風に煽(あお)られ西へ広がっていったようです。
この日は北風、東北風とめまぐるしく風向きが変わったため広範囲に火勢が伸び、浜町中心部から浜町・米町・大町を焼きつつ西へ西へと延焼、鍛治町を通り正覚寺などを巻き込みつつ寺町へ至り、柳町・新町・安方町まで延焼しました。現在でいうと、東は旧税務署通りの一本東の道路から、西は八甲通りの辺りまで被害が広がったということになりますので、なんとも恐ろしい話ですね。
旧税務署通りの一本東の道路
八甲通り
冒頭で青森はこのような大火が多いと言いましたが、町並みが東西に伸びた形をしているため、強い西風が吹くことの多い青森では火の手が広がりやすかったようです。
安政大火をはじめとした江戸時代の青森町の主な大火は、『新青森市史』通史編第2巻548~556ページで紹介しております。
そのほか、江戸時代の青森が体験した災害について第五章で取り扱っていますので、過去の事例から学び現代に生かすという意味でも、ぜひとも皆様にご覧いただければと思います。それではまた。
関連リンク
PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Acrobat Readerが必要です。Adobe Acrobat Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先から無料ダウンロードしてください。
問合せ
より良いウェブサイトにするために皆さんのご意見をお聞かせください。
Copyright © Aomori City All Rights Resereved.