ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第11号(2012年6月15日配信)
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更新日:2015年6月1日
こんにちは!事務長の工藤大輔です。
さて、先週の伊能忠敬(いのう・ただたか)さんが青森で宿泊した場所の話の続きです。
伊能さんは、寛政12年(1800)に「大町」の西沢善兵衛さんのお宅に宿泊したと、現在本町5丁目に据えられている解説板にはそう書いてあります。
ところが…伊能さんが書いた「測量日記」によれば、翌享和元年(1801)11月6日に「米町」の西沢善兵衛さんのお宅に泊まったとあります。
「伊能忠敬」の解説板(拡大)
「測量日記」の該当部分(『新青森市史』資料編4より)
日付はおそらく、伊能さんの日記によるものが正解でしょう。ただし、泊まった場所については、彼は青森の人ではないので、「大町」を「米町」と書いた…のかもしれません。
さて、西沢善兵衛さんのお宅ですが、これを遡ること約20年、天明3年(1783)の青森町を描いた絵図には、大町ではなく米町に西沢さんのお宅がありました。ですから、「米町」と記す伊能さんの記録と一致します。
この20年弱の期間に西沢さんのお宅は移転したのでしょうか?…謎は深まります。
時期は少し下りますが、幕末の安政4年(1857)11月6日に、ジョン万次郎としても知られる土佐の漁師で漂流してアメリカの船に救助された、中浜万次郎(なかはま・まんじろう一昨年の大河ドラマ「龍馬伝」では、トータス松本さんが演じていた…とか)が幕府の役人のひとりとして、青森にやってきています。そしてその時の宿が、なんと「米町」の西沢善兵衛さんのお宅だったのです。
ジョン万次郎と懇談したという西沢素庵の句碑(蓮心寺)
ジョン万次郎の西沢家への止宿に関する記事(『青森市史』第七巻より)
どうも、西沢さんのお宅は大町ではなく、米町にあったと理解したくなりますね。
そう、言い忘れましたが、西沢さんの職業は、文化8年(1811)の記録によれば、「造酒」家業となっています。
機会があれば、江戸時代の青森町で暮らす人々の仕事についてもご紹介できたらと考えています。せば…。
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