ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第43号(2013年2月1日配信)
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更新日:2015年6月1日
こんにちは!事務長の工藤大輔です。
最近、古い写真でもって青森市民の歩みをたどってみるとか、またそうした写真を発掘・収集する活動が活発のようですね。
先日も、郷土館の土曜セミナーで「写真で見る昭和30~40年代の青森市民の暮らし」という講座があって、大変盛況であったと聞いています。
さて、それでは青森に写真がもたらされたのはいつのことなのでしょう。
『東奥日報』で連載中の「あおもり老舗ものがたり」(平成24年〈2012〉6月30日付)によれば、現在花園にある「フォトシバタ(創業時は柴田一奇写真館)」が明治2年(1869)の創業とあります。市内の写真館としては最も古いようです。
一方、記録をたどってみると、青森浜町の豪商滝屋の伊東彦太郎という人物が書いた日記「家内通観」の明治2年9月5日条に、この頃東京からカメラマンがやってきていて、米町の薬種屋米沢屋庄右衛門の所に滞在しているとあります。奇しくも、柴田一奇写真館の創業とおなじ年のことです。そして、市中の男女がやってきては彼に撮影をしてもらっていました。
伊東彦太郎祐朝(『青森市史』資料編第7巻より)
もちろん、青森町のお役人さんたちもこぞって撮影してもらい、この日記の著者である彦太郎も「後世に伝えたいものだから、羽織袴に刀を下げて」撮影したとあります。上に掲げた写真が、その時の写真だと思います。
この記録が青森の写真に関する最も古いものと断定はできませんが、『広報あおもり』2月1日号の「青森タイムトラベル」(市のホームページでも閲覧できます)で箱館戦争当時の青森町の人々のようすについて記したように、この頃の青森町の人々は新しい文化に積極的に触れていこうという気持ちに溢れていたようですね。
明治時代の滝屋伊東家
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