ホーム > 文化・スポーツ・観光 > 歴史 > メールマガジン「あおもり歴史トリビア」 > 「あおもり歴史トリビア」第60号(2013年6月7日配信)
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更新日:2017年3月9日
こんにちは!事務長の工藤大輔です。
今回は、藩政時代から明治初年まで行われていた年中行事についてお話ししましょう。
毎年4月8日といえば、お釈迦様の誕生を祝う「灌仏会(かんぶつえ)」という仏教行事があります。一般には「花祭り」という名前で知られているかと思いますが、この日、青森町では、安方町と塩町(青柳2丁目の一部)で「競馬(くらべうま、馬乗り)」が行われていました。ただ、「灌仏会」とはまったく関係はなさそうですが…。
この競馬はとても人気があり、青森町の近くの村々からも人が集まり、大変賑わっていたようです。とくに、遊郭がある花街の塩町での競馬は大変賑やかであったといいます(『御国巡覧滑稽嘘盡戯(おくにじゅんらんこっけいうそつきげ)』)。しかし、残念なことに、市中の往来を舞台にするこの競馬は、明治8年(1875)10月に禁止されてしまいます。
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ところが、その翌年、明治天皇が東北・北海道を巡幸した際に青森町を訪れ、浜町で競馬を目にしているのです。おそらく、特別に催されたのでしょう。当時の記録によれば、馬に乗る人々の装束は、緋縮緬(あかちりめん)の襦袢(じゅばん)にたすき掛けの者や紋付の羽織姿の者、さらには洋服のようなものをまとう者…とさまざまで、彼らが乗る100頭ほどの馬が玉座(ぎょくざ)の周りを思いおもいに駆け回り、とにかくオリジナリティーに溢れていたので、天皇もずいぶんと楽しんだようです(『奥羽巡幸明細日誌』)。
現在は観ることができず、想いを馳せることしかできませんが、少々「傾(かぶ)いた」感じの人たちによる馬乗りは面白そうです。何かの折に再現してもらいたいものですね。
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(いずれも明治天皇巡幸の際、随行カメラマンが撮影したもの。『目で見る青森の歴史』より)
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