なみおか町史コラム(22)
〜浪岡八幡宮慶長19年の棟札について〜
棟札とは、上棟の際に、建築物名、工事の由緒、年月日、建築費を出した人物、大工・鍛冶・屋根葺きの名前などを木札に書いて棟木などに打ち付けたものをいう。棟札は、新築の際ばかりだけでなく、建物の修理(屋根の葺き替えなども含む)の際にも書かれ納められているため、歴史の古い社寺などでは50枚以上の棟札を所蔵するところもある。
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慶長19年(1614)浪岡八幡宮(写真1) |
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寛永15年(1638)浪岡八幡宮(写真2) |
建物の建造日などを後世に残す方法としては、棟木などに直接墨書すること(棟木銘と呼ぶ)が行われていたのが、別の板に必要なことを記して、棟木などに打ち付けるようになったとされている。理由は、上棟の際にしか棟木銘は書くことが出来なく、その際に字の上手な書記を準備できないと不可能となる。そのため、あらかじめ1枚の板に棟木銘と同じ内容を書いておいて棟木に打ち付けるという方法が考案されたものと考えられる。
現在全国で最も古い棟札は岩手県平泉町・中尊寺の伝経蔵の保安3年(1122)のものである。棟木銘も同じく中尊寺の金堂の天治元年(1124)のものが最古とされている。青森県内では、深浦町・円覚寺が所蔵する同町・見入山観音堂の康永3年(1344)のものが最古である。
浪岡町内で最も古い棟札は、浪岡八幡宮の慶長19年(1614)のもの(写真1)である。この棟札の大きな特徴は、全面に黒漆が塗られ、文字を陰刻し、白い粉によってはっきりと浮き出させていることにある。この点で一般的な白木の板に墨書のもの(写真2)とは大きく違っている。
このような棟札は、全国でも山口県須佐町・松崎八幡宮の寛文5年(1665)と元禄5年(1692)の2例が知られているくらいである。
慶長19年の浪岡八幡宮再興は「奉再興大
檀那津軽
大主藤原朝臣信枚
建之」とあることから、弘前藩が全面的にその費用を出した工事であった。また、「
藤原新九郎」「平田道貞吉房」の大工・鍛冶のコンビは、その前年、国指定重要文化財となっている弘前市・熊野奥照神社本殿も建立している。鍛冶の「平田道貞」は、弘前市・神明宮元和9年(1623)の棟札に「丹波住」とあることから丹波よりその技術で招聘された者であり、おそらくは、大工「藤原新九郎」も他領から呼ばれた者であろう。
慶長19年の浪岡八幡宮の造営は、弘前の神社を手がけた当時としては最高の大工・鍛冶によってなされたものであり、棟札は総漆塗り陰刻というほかに例のない仕上げのものを納めている。
北畠氏を滅ぼして成立した弘前藩には、浪岡落城の記憶の新しい慶長19年、浪岡八幡宮を再興するにあたり、これほどまでに神経を遣わざるを得ない何かが浪岡八幡宮にあったのではなかろうか。
【町史執筆委員 佐藤光男】
『広報なみおか』平成15年(2003)2月1日号に掲載