なみおか今・昔80

なみおか町史コラム(10)

〜君知るや鈴蘭の花咲く丘〜

 中世の里浪岡は、またロマンの里でもある。慶應ボーイの石坂洋次郎は阿部政太郎の息子と文学仲間だったので、八幡宮の社務所に泊まり、フェリス女学院の18才の今井うらと永遠の愛を契った。
 のちにフランス文学者として有名な笹森猛正は、昭和の初め黒石実科高等女学校の英語教師だったが、本郷の鈴蘭山へデートして詩作した。

写真「スズラン山の青春」(提供:平野守衛氏)
スズラン山の青春(提供:平野守衛氏)
写真「スズランを守る本郷青年団」(提供:鎌田勝栄氏)
スズランを守る本郷青年団(提供:鎌田勝栄氏)

 私は涙と啜泣(せっきゅう)にあふれて恋を思ふ
   ―ジャン・モレアス
 その窓には、妹よ/昨日摘んできた/鈴蘭の花が優しく匂ってゐるだろう/何ごともわれらは語るまい、妹よ/おまへと共にあることだけで/私の心は水盤のやうに溢れるだろう/
(昭和3年5月29日)

 この日の『東奥日報』には次の記事がある。
“鈴蘭の花盛り よき花つむ人を待つ 南郡本郷鈴蘭山便り” という見出しで「若い人達が憧憬の花、香り高き鈴蘭咲く南郡五郷村本郷の鈴蘭山は昨今五分通りつぼみを出し、来月3日の日曜日あたりは満開」「鈴蘭山は一昨年急に県下に知れわたり、ここに遊山したものは5,000人、同村未曾有の賑ひを呈した」とあり、一方観光客が鈴蘭を掘って帰るので根絶してしまうと本郷青年団で対策を講じることも報じた。
 鈴蘭山が有名になったのは、子どもが修学旅行で函館から鈴蘭をおみやげに買って来たところ、その花なら村の草山に一ぱいあるということから始まる。大正13年(1924)のころだった。鈴蘭山へは本郷八幡宮から入る。途中、半里に湯の沢温泉があり、そこから峰へ出て半里、馬の干草を刈る入会地数十町歩が群落地である。山は昭和20年代まで鈴蘭を咲かせたが、のち解放されて私有地となり、農耕馬もいないので植林、今は杉山と化し、昔を知る人でも戸惑う。鈴蘭山は果敢(はか)なかったが、軍国時代の若者たちの胸にロマンの灯をともしてくれたことを語り継ごう。

【町史執筆委員 稲葉克夫】

『広報なみおか』平成14年(2002)2月1日号に掲載


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