なみおか今・昔59

弘前藩庁日記に浪岡を読む(4)

 「弘前藩庁日記」と動物、ちょっと縁がないように見えますが、結構記事が多いのです。以下、鷹と狼と白ねずみのお語。
 下十川の十川袋には俵沼ほかいくつかの御鳥屋があり、鷹侍の者が鷹を捕らえて飼育していました。大名が鷹狩を好んだのです。享保年間(18世紀前期)に下十川地域の鷹に関する記述が多いのは、将軍吉宗の武芸奨励政策と結びつくのかも知れません。弘前の藩庁では郡奉行や鷹匠が、少しでも多く鷹を集めるように指示しています。
 次は狼。げにおぞましいお話です。享保21年(1736)正月9日の条に、

下十川大沼袋
下十川大沼袋
 一 倒死人一人、年齢五十位。
   下十川村の道路から五十間
   (約100m)ほど奥まった百
   姓孫次郎の屋敷の外、柳の
   下で発見された。冬の風が
   吹く季節に倒れたものと見
   られ、雪の下になっていた
   遺体を狼が掘り出し、顔や
   頭などを疵(きず)付けて
   いた。代官と庄屋が検分し
   て…。
弘前藩庁日記記録(1722-1736年)
(左)享保21年正月9日(中)享保7年3月11日(右)享保20年9月7日

という報告があります。吹雪の中で道に迷った行倒れの男。狼が掘り出して疵つけた遺体、見つけた村人の驚きには察するにあまりあるものがあります。それにしてもこの時代、狼の暴れ方は激しいものでした。自然環境のバランスが崩れたためなのでしょうか。
 一方ではこんな記事もありました。

 一 浪岡組の代官が申し出た。
   自鼠一疋、増館組沢村の
   百姓伊右ェ門が家の中でと
   ったので献上…。

 享保7年(1722)3月11日の記事です。この時の褒美はなんと米3俵、つがるロマン小売価格で7万円、結構高額です。このほか野馬や熊の記事もあります。いずれ取り上げることにいたしましょう。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成12年(2000)5月1日号に掲載


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