なみおか今・昔56

弘前藩庁日記に浪岡を読む(1)

 弘前藩は政治や事件を日記にまとめ、後世に伝えました。現在弘前市立図書館が、「弘前藩庁日記」の名で保存しています。2枚の写真のうち、上の写真は正徳6年(1716)4月9日付の記事です。第2項目の内容を要約してみましょう。

 加茂明神・貴船明神・広瀬明神・龍田明神に、五穀がよく実るよう御祈祷を仰せ付けた。御供物料は1社に銭80目ずつと、小野若狭、阿部播磨に伝えた。往復には1人につき荷付馬2疋を渡す。17日間のご祈祷の期間、上下3人ずつその郷で賄いをするように仰付けてある。

「弘前藩庁日記」(正徳6年4月)
「弘前藩庁日記(正徳6年4月)」
棟札を見る町史地区協力委員の有馬良一さん
棟札を見る町史地区協力委員の有馬良一さん

ちなみに、加茂明神宮は五本松の加茂神社、貴船は青森市野内、龍田は深浦町田野沢にある神社。広瀬は木造町長浜にあった明神宮です。
 町史編纂のため、現在浪岡町内の神社の棟札を調査しています。神社の歴史を調べるため重要なのです。棟札を比較すると五本松の加茂神社の棟札はほかの神社とかなり違っています。
 棟札は建物の工事の時に納めるもので、上棟式の際棟木に打ちつけるか、天井裏に置きます。工事の内容、仏を示す梵字、経文、願文、守護神、神官名、上棟の年月日、願主名(造立者)などを記します。普通の社の場合、願主には庄屋・組頭・重立(おもだち)などが記されています。また、祈願の内容は五穀豊穣・村内安全・家中息災など、住民の願いが記されています。
 一方、加茂神社に残る江戸時代の棟札(写真下)には、弘前藩の家老・御用人・奉行らの名前が並び、藩主の武運長久を祈る文字が読み取れるのです。
 4代藩主津軽信政(のぶまさ)は、農業の神として四つの社を定めました。元禄10年(1697)ころのことです。華やかな元禄文化と裏腹に、津軽ではこのころ凶作の連続に苦しんでいました。信政は天候が順調で、豊作が続くよう神に頼ったのです。四つの社は「郡内四社」と呼ばれました。加茂明神に加護を願ったのは、碇ヶ関からヤマセの強い新田地帯です。社の建設費の多くは藩が支出し、運営費は地域の村々の負担でした。加茂明神宮のお礼が村々に配られたのです。加茂神社に残る江戸時代の棟札の大部分が、ほかの神社と違うのはこのような事情があったのです。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成12年(2000)2月1日号に掲載


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