なみおか今・昔55

浪岡北畠氏の足跡(10)

〜袰綿落居〜

 前回は三陸海岸の船越御所をご紹介しました。岩手県内には雫石(しずくいし)(滴石)城や稗貫(ひえぬき)(抜)地域、前述の船越御所、今回のテーマ袰綿(ほろわた)御所(下閉伊郡岩泉町)など、浪岡北畠氏に関連する史跡が多くあります。
下館と上館
左上の松林の山が下館
その右の落葉松林の山が上館
大林館と小本街道
中央の丘陵が大林館
下を小本街道が通る
 袰綿は私達にとって、聞きなれない地名です。岩手県北から三陸海岸の小本に向かう街道筋の村で、現在の集落から江戸時代の繁栄を偲ぶことができます。そして中世の浪岡御所北畠氏を研究する際、避けて通れぬ土地なのです。
 北畠氏の流れをくむ袰綿御所の系譜はいくつかあります。『参考諸家系図』にある「袰綿左仲家」の家譜は、津軽にいた北畠顕家の子孫が、16世紀前期に所領を失って袰綿に来たと述べています。
 岩手県立図書館所蔵の「袰綿系図」(写)は、具定の祖父顕定が15世紀半ばに雫石(岩手郡)より袰綿に移ったと記しています。また南北朝時代(14世紀)に北畠顕房が拠ったという説もあります。文書や系図はほかにもありますが、矛盾や混乱が多く、浪岡北畠氏と直ちに結びつけるのは困難です。
 ところで、青森県内にも袰綿に関する史料が残されているのです。戦国時代と推定される「八月二十二日」付「浪岡殿」宛の書状は、「保呂綿」は落ち着いた旨を報告しており、浪岡と袰綿の関係深さを読み取ることが出来ます。
 集落の西方の高所には、上館・下館があり、上館には空堀の跡が残されています。これに対し村の東側、旧小本街道沿いの丘陵上には、大林館があります。袰綿御所の拠点といわれる上館・下館と大林館は、前2者の方が時代的にも古く、後者は戦国時代の遺構と考えられています。大林館の付近には寺屋敷という地名が数か所あるほか、集落内には八幡・熊野など多くの社があり、由緒ある土地柄をしのばせます。
 袰綿へのル−トは、盛岡駅前から早坂高原を越えて岩泉町に行くバスを利用するのが良いでしょう。マイカー使用の方もこの道が楽しめます。竜泉洞や三陸海岸観光の際、ぜひ立ち寄って下さい。(このテーマは一時休み、次回から「弘前藩庁日記と浪岡」を掲載します。)

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成12年(2000)1月1日号に掲載


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