なみおか今・昔48

浪岡北畠氏の足跡(3)

〜霊山城と霊山神社〜

 霊山、りょうぜん。福島県の北東部、伊達郡霊山町と相馬市の境にある、美しさの中に厳しさをたたえた神秘的な山です。標高825m。慈覚大師の命名と伝えられるこの山には、霊山寺(天台宗)がありました。また、北畠顕家が城を構えたところです。
 14世紀前半、成功したかにみえた後醍醐天皇の新政は、足利尊氏の離反により、もろくも崩れさりました。多賀国府(多賀城にあったと考えられてきましたが、近年ではほかの地域を求める説も出ています)にいた北畠顕家は、延元2年(1337)正月に拠点を霊山に移しました。もっとも顕家がこの山城にいたのは半年余りのこと、8月には尊氏を討つため西征の途につきました。
 霊山には福島駅前から福島交通のバスに乗り、“行合道・YUKIAIDO”で下車するのがよいでしょう。マイカーの場合、国道115号を東に進むと、霊山の真下まで行くことができます。駐車場は奇岩を望む地点にあります。「霊山登山口」と記した標石から登りは2時間程度、最初の急斜面にやや苦しみますが、上部はほぼ平坦です。
顕家が城を構えた霊山
顕家が城を構えた霊山
北畠一族を祀る霊山神社
北畠一族を祀る霊山神社
 “護摩壇”の急崖で足をすくませながら下界を展望し、霊山の規模を偲ぶのもよいでしょう。“国司館”で礎石を調べ、顕家の館を推測することも可能です。霊山城の碑や義良親王の碑を巡り、北の物見に向かうこともできます。青森県内には霊山城のような山城は見当りません。城郭史の研究を深めるのも面白いのではないでしょうか。
 話題を10km程離れた“霊山神社”に移しましょう。北畠親房・顕家・顕信・守親を祀る社です。明治14年(1881)の創建といいますから、浪岡城や北畠累代墓の石碑が建立された時期と同じころにあたります。もと別格官幣社、大阪阿部野・伊勢北畠両神社とともに“北畠三社”の1つとして知られています。
 春の祭りには“濫觴(らんじょう)武楽”が演ぜられます。この舞は浪岡八幡宮に奉納されたことがありますから、その時の様子を70歳前後の方にぜひ聞いて下さい。(次回は北畠顕家の戦死)

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成11年(1999)6月1日号に掲載


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