なみおか今・昔43

ふるさとの写真を読む(12)

 写真(上)は昭和11年(1936)3月30日付『東奥日報』朝刊第1面に掲載された、浪岡駅の工事風景です。
 奥羽本線は明治27年(1894)に開通しました。その際に建てられた駅舎は、昭和に入るまで待合室を少し拡張しただけで使用し続けてきました。しかし、建築後40年を越えた駅舎は、かなり老朽化していたといわれます。
 昭和も10年代に入ると景気も上向きとなり、サービス時代に入りました。加えての観光ブーム、乗客の数は明治時代末期にくらべて3倍となり、貨物も増加しました。
 このような状況を背景に、浪岡駅の改築工事が始まりました。1月4日仙台鉄道局は着工を認可し、作業は豪雪にもかかわらず順調に進みました。落成式は3月29日午前10時から行われ、祝賀協賛会主催の祝賀会も開かれています。  
浪岡駅長佐々木平吉氏は新聞記者に対し、
浪岡駅今昔
昭和11年改築完成直前の浪岡駅写真
▲昭和11年改築完成直前
▼現在
現在の浪岡駅写真

「駅舎の新築で気分もよくなりましたし、目睫(もくしょう)(かん)(間近ヵ)にせまってゐる行丘(なみおか)公園の観桜会、法峠のお祭り、本郷山の鈴蘭等他からの行楽の方々へも出来るだけのサービスをし、記念スタンプも拵へる心算(つもり)です。今後も地方民 各位の御声援と御利用を希望してやみません」
と語っています。<カッコ内は佐藤の加筆>
 写真は、下りホームから完成直前の浪岡駅を撮ったものと思われます。屋根には仕上げの作業をしている人がおり、建物の周りには工事用具などが置かれています。詰襟の制服姿の駅員が3人、その左側に改札口があります。駅員後ろが駅長事務室、閉塞器の置場が少し突出しています。同じ位置から写した駅舎(写真下)の現状と比べてください。
 上りの線路と下りの線路の間には、取り換え用の線路があります。線路の交換も進められていたのです。輸送力の増強で機関車も大型化し、C51やD51が重連で疾走できるように線路も強化されました。
 浪岡駅落成の3日前、2・26事件がありました。サービスの向上、観光客の誘致の裏に戦争への足音が確実に轟いていたのです(『東奥日報』は弘前市立図書館の所蔵で、写真掲載に格別のご配慮をいただきました)。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成11年(1999)1月1日号に掲載


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