なみおか今・昔40

ふるさとの写真を読む(9)

〜雪と奥羽本線〜

 浪岡地域に鉄道が開通したのは、明治27年(1894)12月1日のことです。最初は客を乗せる列車が3往復、10日遅れて貨物列車も運転されるようになりました。当初、青森−弘前間の所要時間は1時間30分でした。
 開業後20日ほどすると、冬の津軽野には雪が積もり、列車の定時運転が難しくなってきました。そして12月28日から客車は2往復、所要時間も1時間45分に減便・減速されています。
 大釈迦トンネルの南口の切り割りに雪がすっぽりと入ったほか、浪岡駅までの線路の積雪が予想以上に多かったのです。大釈迦トンネルの南口には雪覆を造り対処することになりました。工事風景は3月の広報に紹介しています。
1.「雪の東北」掲載の防雪林
写真① 『雪の東北』掲載の防雪林
2.防雪林の現状
写真② 防雪林の現状
 もっとも、雪覆は松材を使用したため、湿気の多い切り割りの中では腐食が早く、危険になったことを明治33年5月25日付の『東奥日報』が報じています。
 大釈迦−浪岡駅間の積雪については、大正時代前・中期に防雪林を育成し対応しています。東北本線野辺地駅付近の防雪林の成果を取り入れたのでしょう。
 写真①は昭和4年(1929)に仙台鉄道局が刊行した『雪の東北』に掲載されています。解説文には「奥羽本線浪岡、大釈迦駅間に於ケル七年生杉」とあります。この本の原稿が準備された事情を考えると、写真の撮影は昭和2年か3年の冬と思われます。そしてこの杉が植えられたのは、大正10年(1921)までと推定されます。植林の際生長の早い落葉松を保護樹として杉苗の周辺に植え、杉が育つと伐採して純杉林にしました。写真①の中に葉を落した落葉松があるのは、この手法をとったことを示しています。
 防雪林を育てるため、害虫を食べる野鳥の保護をはかりました。大正11年から間伐材を利用して巣箱を作り、防雪林内に掛けたのです。巣箱は30%に椋鳥(むくどり)四十雀(しじゅうから)などが住んだという記録が残っています。
 大釈迦−浪岡間の防雪林はこのようにして育てられ、鉄道の安全に役立ったのです。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成10年(1998)10月1日号に掲載


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