なみおか今・昔39

ふるさとの写真を読む(8)

 大正4年(1915)10月20日から24日にかけて、津軽地域では大正天皇をお迎えして、陸軍の特別大演習が行われました。写真①は浪岡御野立所(おのだちしょ)に設けられた統監部(とうかんぶ)の様子です(『陸軍特別大演習青森県記録』所載・弘前市立図書館蔵)。マントを着た軍人がいますから、10月20日前後の撮影と推定されます。
 浪岡御野立所は当時の女鹿沢(めがさわ)村大字女鹿沢地内に求められました。簡単にいうと、現在の花岡(はなおか)公園のあるところ、展望のきく原野先端の高所に設けられました。御野立所は直径18尺(5.5m)、高さ1尺(30cm)の盛土をつき固め、野芝を張りました。天皇がお立ちになる場所です。記録には後方に御小休所を設けたとありますが、写真のどの部分か分かりません。
 浪岡駅からの村道は県費を投入して整備されました。御野立所とこの道は、行幸(ぎょうこう)の前日から清掃することになっていました。
浪岡御野立所(統監部)
写真① 浪岡御野立所(統監部)
現在の花岡公園
現在の花岡公園
 演習は、陸奥湾岸に上陸して8師団がある弘前を占領しようとする北軍と、これを防ぐ南軍が、大釈迦(だいしゃか)大豆坂(まめさか)入内(にゅうない)峠・孫内(まごない)鶴ヶ坂(つるがさか)など外ヶ浜への出入ロを守るという想定で行われました。
 両軍は10月20日浪岡で対戦、22日から23日にかけて北軍は浅瀬石(あせいし)川流域に進出し、八幡崎(やわたざき)(現尾上町)で決戦を行っています。
 大正天皇は20日に浪岡御野立所に行幸される予定でしたが、雨のため中止となりました。現在、花岡公園の広場の東端には、女鹿沢村が大正5年に建立した記念碑があります。それ以来80年余、樹木が伸び展望はきかなくなりましたが、往時の様子はそこはかとなくしのぶことができます。
 天皇の行幸に際し、地域各村の物産が弘前に展示され、天覧の栄に浴しました。また徳才子(とくさいし)の工藤善太郎が功労者として召し出されています。陸軍特別大演習に関しては、北畠昭智執筆委員が『浪岡町史研究年報U』 に「大正時代・浪岡周辺での出来事から」と題し詳しく記述しています。ぜひご一読ください。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成10年(1998)9月1日号に掲載


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