なみおか今・昔37

ふるさとの写真を読む(6)

 寺社には多くの写真が奉納されています。その中で目につくのは軍服姿の写真です。大釈迦の元光寺の本堂に納められている写真は23枚、軍服から見て海軍が6枚、陸・海の区別はつきませんが航空隊が3枚、残りは陸軍です。(写真①)
 吉野田の八幡宮には1枚の航空兵の写真が納められています。額の裏には「奉納」その左下に「昭和拾四年十二月十五日」「木村勝雄」「二十一才」と墨書されています。ご健在ならば今年は79歳か80歳になられます。昭和14年(1939)といえば日中戦争が長期化し、欧州では第2次世界大戦が勃発した年です。
元光寺本堂の写真
写真① 元光寺本堂の写真
吉野田八幡宮木村勝雄さんの写真
写真② 吉野田八幡宮木村勝雄さんの写真
 木村勝雄さんは大正8年(1919)吉野田に生まれ、野沢小学校の高等科を出たあと、野沢村役場に勤めました。日中戦争が始まった昭和12年、志願して横須賀海兵団に入団。海軍通信学校で訓練を受けた後、木更津航空隊に配属されました。そして昭和14年8月、戦場に赴いたのです。
 写真②は中国に渡るころの撮影と推測されます。木村勝雄さんの最も華やかな日の姿です。
ご両親は本人に代わり「武運長久」を祈り、写真を奉納されたと推定されます。
 木村勝雄さんの世代は、慢性的な不況の中で育ちました。金融恐慌から昭和恐慌、昭和6年と9年には大凶作があり、県内の農民は苦しみました。このような経済情勢から農村が立直るのは昭和10年以降のこと、木村少年は17歳(数え年)になっていました。しかし景気の回復は戦争をともなってやってきました。決して幸せな世代とはいえません。 
 八幡宮に写真を奉納したご両親の願いもむなしく、木村勝雄さんは昭和15年10月6日、中国の大空に散り“英霊”となって、無言の帰宅をされました。海軍3等航空兵曹。行年22歳。心から御冥福を祈ります。
 寺社に奉納されている軍人の写真は、撮影後60年になろうとしています。保存環境は良好とはいえません。御遺族や友人も高齢化し、忘れ去られようとしています。この際、寺社に奉納されている写真を再確認し、記録したいものです。地域の皆さん!22歳の皆さん!ぜひ協力して下さい。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成10年(1998)7月1日号に掲載


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