なみおか今・昔23

石造文化財が語るもの(5)

 私たちの生活に深いかかわりをもっていた動物に馬がいます。昭和30年代までは農耕に、運送に、乗馬に使用され、軍馬として戦地におもむいた馬もおリました。
 『青森県統計年書』は昭和37年(1962)2月現在の浪岡町内の馬の数を185頭と記しています。江戸時代末期、文久元年(1861)の「御道割明細書」は、駒の数を増館村20、目鹿沢村56、浪岡村86、五本松村29、王餘魚沢村18、合わせて200頭余の数字をあげています。牡馬だけでこの数です。また、6か村だけの数字ですから、現在の浪岡町全体ではかなり多かったものと推定されます。
 
大釈迦墓地の馬頭観音
大釈迦墓地の馬頭観音
高屋敷の馬頭観音
高屋敷の馬頭観音
 頭数だけでなく、人びとの生活を支えてくれ、主人になついた馬は、飼っている人の心と深く結びつきました。路傍や墓地の入口に、「馬頭観音」、「尊全」、「蒼前」などと刻んだ石碑を見かけます。柳久保(北大釈迦)の国道筋、杉沢の白山神社入口横、王余魚沢小学校下、下十川の神社入口など、町内の馬頭観音や「そうぜん」碑はあげればきりがありません。中でも杉沢の山手にある観音様や吉野田の馬頭観音堂は石碑の数が多く、信仰も続いています。
 馬頭観音は馬を冠として頭に載せた観世音菩薩なのですが、死んだ馬の供養やいま飼っている馬の無病息災を祈って飼主や村人が造立するようになりました。造立の時期は江戸時代後期以後のものが目立ちます。石碑の下部には馬が彫られているものが多いようです。その彫り方も馬の輪郭を線で刻んだものと、馬の周囲の石を削り取り、姿を浮き上がらせているものがあります。
 印象的な馬頭観音碑に、高屋敷のものがあげられます。堂内には2つの石碑がありますが、そのうち1基には5頭の馬の躍動的な姿が描かれています。道路筋を通る馬が多かったためでしょうか。はたまた、村内に絵の上手な人がいたのでしょうか。堂内には蜂の巣がありますから、参拝の際には気をつけてください。
※3月号に掲載した三十三観音巡礼碑は、杉沢の石村美智雄さん・小笠原みわさんのご尽力で「小笠原」の下に「助十郎」の名があることがわかりました。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成9年(1997)5月1日号に掲載


前のページへ なみおか今・昔インデックスへ 次のページへ