なみおか今・昔22

石造文化財が語るもの(4)


 今回は庚申(こうしん)塔を問題にしたいと思います。五本松から孫内に向かう道をしばらくゆくと、庚申塔が1基木立の中にたたずんでいます。碑面には、


板橋の庚申塔
板橋の庚申塔
長沼の庚申塚(三猿)
長沼の庚申塚(三猿)
 天保三壬辰年造立之
       願主
 庚 申 塔 山田治郎兵衛
       山田山三郎
 九月十七日 山田助四郎
       山田才治郎

と刻まれています。
 庚申塔は浪岡町内の各集落にあり、皆さんの目にふれることが多い石塔です。猿田彦大神の碑も同系統の信仰とみられます。庚申は十干十二支の組合せ、「かのえさる」の日に庚申の神を祭るのです。庚申の日は60日に1度まわってきます。中国の道教は、人の体に三尸さんし九虫がいて、庚申の夜、寝ている間に60日間の行状を神に報告します。この期間に良くないことをした人は死に追いやられると考えました。
 人びとは庚申の夜に身を清めて、庚申の神を祀り寝ずに過ごし、三尸が天にゆけないようにしたのです。この行事はやがてレクリエーション的な要素を持つようになり、祭事のあと、集まった人びとは飲食をともにしました。
 話をもとにもどしましょう。前にあげた庚申塔は、天保3年(1832)の造立です。この年は大凶作で、村人はこの冬をどう過ごすか、不安で一杯だったと思います。
 9月17日が庚辰の日であることはいうまでもありませんが、天保3年には庚申の日が7回ありました。ふつうの年は6回なのですが、5回もしくは7回ある年には、石碑を建立する習慣がありました。大釈迦の猿田彦大神碑、王余魚沢、長沼の加茂神社社殿左横の庚申塚も天保3年の造立です。長沼のものは石碑の下部に三猿(見ざる・聞かざる・話ざる)が刻まれている楽しいものです。悪いことをした人が、三尸に見逃してくれるように願ったといわれています。
 孫内への道筋にはかつて板橋村がありました。庚申塔とそこに刻まれた4人の村人は精一杯板橋村の存在を主張しているのではないでしょうか。大切にしたい石碑です。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成9年(1997)4月1日号に掲載


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