なみおか今・昔13

町史研究余録(13)

〜旧五か村の発足〜

 明治10年代も後半に入ると、伊藤博文を中心に憲法制定の作業が進みました。発布される憲法にそなえて内閣制度ができ、伊藤内閣が成立しました。明治19年(1886)には学校令が出されています。地方制度は郡区町村編制法から市制・町村制に変わりました。「大日本帝国憲法」が発布されたのは明治22年(1899)のことですが、その前年に市制・町村制が公布されたのです。新しい村は、今までの自然発生的な集落がいくつか合併して成立しました。
 現在の浪岡町の村々は女鹿沢・浪岡・五郷・大杉・野沢の五か村を構成し、新しい村の大字に変わったのです。旧村の所属は次のとおりです。Δ印は役場のあったところです。

旧五ヵ村の構成
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 下石川村は下之切道沿いの六か村とともに七和村をつくりました。新しい村の名称は、新村の内の大集落の名をとった浪岡・女鹿沢両村、七和村のように集落の数を示す五郷村、大釈迦と杉沢の1字をとった大杉村、野沢村も吉野田の「野」と沢の「沢」を合わせて名付けられたものです。旧村名は現在も地域名・学校名として使用されていることを考えると、地名を作るのは大変な意味を持つのです。
 野沢村や女鹿沢村の成立は、町村制施行以前から旧村が組合をつくり戸長役場を運営していた縁によるものです。
 なお、浪岡村は昭和15年(1940)6月に町制を施行しました。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成8年(1996)7月1日号に掲載


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