なみおか今・昔6

町史研究余録(6)

〜「藩律」からみた浪岡地域〜

 多くの道が集る浪岡地域、昔から大勢の人々がそれぞれの目的を持って、この道を通りました。幕府の巡見使や藩主の視察、黒石藩の平内領連絡。庶民の旅も忘れられません。浅虫への湯治、これはお殿様も好きでした。津軽三十三観音巡礼で、入内観音から松倉観音に向かう人。繰り返す凶作で食べ物を求めてさまよう流民たち。さまざまな旅姿がありました。
 ここで「藩律」という史料を紹介しましょう。200年前にはできていました。これには行政区画をはじめ、山や川、大きな坂、港や崎、名所・旧跡などを記しています。津軽地方の地理書です。それでは浪岡付近の事柄を拾ってみましょう。
 「大山」の項では33の山に梵珠山が、「大川」39本には十川が含まれています。「沢」の数は柳窪山から津軽坂山にかけて30余りと記しています。
「藩律」江戸時代の温泉所在記録
「藩律」江戸時代の温泉所在記録
 旅人が苦しむ「大坂」の項には軽井坂・菽(まめ)坂・高陳(陣)場坂・七段坂・柳窪坂・津軽坂などの名があげられています。
 高陳(陣)場の名は「名跡」27か所の中にもでてきます。そしてこの地が古戦場であることや、「饅頭石」がでることを付記しています。「名跡」の項には巖木嶽をはじめ暗門瀑水・唐内坂・亀ヶ岡・唐糸墳などが含まれているのです。
 「古城」の項では浪岡城が44城の7位にランクされています。6位までは津軽氏が使用した城ですから、弘前藩は浪岡御所の城跡を重くみていたといえましょう。
 「温泉」は28を数えます。嶽・大鰐・碇ヶ関・浅虫などとともに、本郷の湯沢湯があげられています。
 「藩律」が完成して200年余り、項目の中には忘れられたものも多くあります。皆さん!この中でいくつ見ていますか。次回は行政区画に触れましょう。

【浪岡町史編さん室長 佐藤仁】

『広報なみおか』平成7年(1995)12月1日号に掲載


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