町史かわら版(1)
〜町内の日蓮信仰に関わる石塔〜
今回は町内に見られる日蓮信仰に関わる石塔を紹介してみたいと思います。
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(写真1) 杉沢・題目石 |
写真1は、杉沢・小笠原邦夫宅脇にある
題目石です。昭和10年(1935)に杉沢の日蓮宗の信者達が建立したものです。正面に刻まれているのは、日蓮宗で本尊とされる十界
勧請の大
曼荼羅です。中央には、俗に「ひげ題目」と呼ばれる「南無妙法蓮華経」が書かれてあり、周りに地獄から人天に至る六道と
声聞・
縁覚・菩薩・仏までの十界の神仏が文字として表現されており、四隅を持国・増長・広目・毘沙門の四天王が守護しています。
右下に建治元年(1275)9月11日と見え、中央下に日蓮の署名と
花押がありますので、日蓮直筆のものを写したと思われます。
文永10年(1273)日蓮が流罪の地佐渡で墨書した大曼荼羅も釈尊像とともに本尊とされるものですが、日蓮直筆のものは120数編現存しているとのことです。
写真2は、八幡町の地蔵堂内に祀られている石塔です。
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(写真2)八幡町・石塔 |
「奉祭
田子大古久尊」とあり、文久元年(1861)浪岡村の題目講が建立したものです。道端にあったのを地蔵堂の新築に際して堂内に移祀したとのことです。
日蓮は大黒天の生まれ変わりであるということから、日蓮宗信者の講が多く見られます。大黒天は
大国主命と混同されて、後者の姿で祀られることもあります。
鼠が大国主命を救ったという『古事記』の神話から、陰陽道の
子の神への信仰と習合し、
甲子の夜に大黒天を祀る講となりました。
写真3は、沖萢の県道沿いの地蔵堂脇にある甲子塔です。昭和12年(1937)に沖萢題目講が建立したものです。正面には次のように刻まれています。
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(写真3) 沖萢・甲子塔 |
天下泰平 国土安隠
南 無 妙 法 蓮 華 経
萬民快楽 五穀豊饒
さらに中央下に「甲子大黒福(以下土中)」とあり、現世利益を講中みんなで祈ったものと思われます。(以上については、『浪岡町史別巻U』269頁以下を参照)。
ところで、浪岡町の日蓮宗は現在すべて黒石・妙経寺の流れと思われます。妙経寺の起りは、弘治2年(1556)相模国妙法華寺日弘の弟子江東院日然が千徳氏の祈願所として、浅瀬石中屋敷に大王山法輪寺を建立したのに始まるとされています。
北畠時代は日蓮宗の信仰はどうだったのでしょうか。日蓮宗の総本山身延山久遠寺(甲斐国)は、承安4年(1274)領主波木井氏が佐渡流罪を許された日蓮を迎え草庵を結んだことに始まります。
北畠氏の庇護者南部氏は、出自が甲斐国であり、日蓮宗との関係はどうなのか、千徳氏との関係はどうなのか等疑問の点が多く解明は大変難しいと思われます。
【町史編集委員 小野知行】
『広報なみおか』平成15年(2003)4月1日号に掲載