中世の里浪岡は、またロマンの里でもある。慶應ボーイの石坂洋次郎は阿部政太郎の息子と文学仲間だったので、八幡宮の社務所に泊まり、フェリス女学院の18才の今井うらと永遠の愛を契った。
のちにフランス文学者として有名な笹森猛正は、昭和の初め黒石実科高等女学校の英語教師だったが、本郷の鈴蘭山へデートして詩作した。
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スズラン山の青春(提供:平野守衛氏) |
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スズランを守る本郷青年団(提供:鎌田勝栄氏) |
私は涙と
―ジャン・モレアス
その窓には、妹よ/昨日摘んできた/鈴蘭の花が優しく匂ってゐるだろう/何ごともわれらは語るまい、妹よ/おまへと共にあることだけで/私の心は水盤のやうに溢れるだろう/
(昭和3年5月29日)
この日の『東奥日報』には次の記事がある。
“鈴蘭の花盛り よき花つむ人を待つ 南郡本郷鈴蘭山便り”
という見出しで「若い人達が憧憬の花、香り高き鈴蘭咲く南郡五郷村本郷の鈴蘭山は昨今五分通り
鈴蘭山が有名になったのは、子どもが修学旅行で函館から鈴蘭をおみやげに買って来たところ、その花なら村の草山に一ぱいあるということから始まる。大正13年(1924)のころだった。鈴蘭山へは本郷八幡宮から入る。途中、半里に湯の沢温泉があり、そこから峰へ出て半里、馬の干草を刈る入会地数十町歩が群落地である。山は昭和20年代まで鈴蘭を咲かせたが、のち解放されて私有地となり、農耕馬もいないので植林、今は杉山と化し、昔を知る人でも戸惑う。鈴蘭山は
【町史執筆委員 稲葉克夫】
『広報なみおか』平成14年(2002)2月1日号に掲載
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