![]() 青森県内でも特に農山漁村では、戦後しばらく、まだ自給自足に近い生活が続いていた。ほとんどの女性が結婚のために、小学校を終えると、冬期間、村の中で学校の先生の奥さんなどに着物の仕立てを習ったりして、裁縫の技術を身につけた。大野地区の大正中頃生まれの人は、青森の学校に数年通ったという。新制中学校に替わった頃から徐々に洋服で学校に通うようになったが、和裁が必須の技術だった。
この針仕事は、それぞれの女性の家族に対する愛情や、仕事への理解、おしゃれ心などが具体的に表れるものであった。仕事着に刺し子をして補強したり、激しい労働のため切れやすい部分に縁どりをしたり、前掛けに 現在、衣類は何でも買えるようになって、女性たちは日常の針仕事に多くの時間を費やす必要はなくなった。 女性たちが同じ基準で評価された時代は終わり、一人一人個性的な生き方ができるようになった。しかし、衣に関わることが日常生活の重要な部分を占め、針仕事の創意工夫によって家族の結びつきを強めていた暮らしを、振り返ってみることもまた大切ではないだろうか。 【民俗部会調査協力員 長谷川方子】 ※『広報あおもり』2002年9月1日号に掲載 |
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