![]() 加賀秀雄は、明治15年(1882年)7月に三戸郡五戸村(現在の五戸町)に生まれたが、政治的野心に燃えて、明治43年11月に青森市へ移住し、大正2年(1913年)6月市会議員選挙に出馬し当選した。当時、最年少の市会議員であった。
しかし、加賀自身もこの時期の政界腐敗に巻き込まれた。加賀は、昭和9年8月5日、市議会の市長選挙会で市長に選出されたが、無効投票2票に疑惑が生じ、故意に投票に他事を記入して無効にしたという嫌疑で、立会人柳谷助四郎が告訴されるという事態になった。市議会は、選挙取り消しの意見書を県に提出し、県は取り消しを決定して、小林県知事が斡旋に乗り出した。加賀派と千葉派の妥協が成立し、加賀秀雄が市長、千葉伝蔵が議長となった。 昭和11年には、市議11人が衆議院議員選挙違反の嫌疑をかけられ、加賀自身も選挙違反で拘引された。結局、彼は昭和11年4月19日、辞表を提出せざるを得なくなった。2・26事件から2か月後のことであった。 その後、青森庶民信用組合に関係したが、昭和20年8月1日に64歳で死去した。 (敬称略) 【近・現代部会執筆編集員 村松恵二】 ※『広報あおもり』2000年10月1日号に掲載 |
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