
4世紀初めから6世紀後半にかけて、支配階層の権力の象徴として、古墳と呼ばれる巨大な墓が造られており、この時代を古墳時代と呼んでいる。ひとくちに古墳と言っても、その形や規模に大きな違いがあり、近畿地方を中心に各地に広まり、5世紀ころに盛んに造られたのが前方後円墳であった。
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▲三内丸山(2)遺跡の古墳跡 |
この古墳文化が青森県に伝わってきたのは、7世紀ころと考えられているが、この時代の古墳を特に終末期古墳と呼んでいる。県内では八戸の丹後平古墳群など太平洋側に集中して発見されており、津軽地方では、尾上町の原古墳群で発見されている。また、類似する遺構が、青森市三内丸山(2)遺跡や新町野遺跡などで発見されている。
終末期古墳からは、副葬品が多数出土することが多く、須恵器(、土師器(、玉類のほか、丹後平古墳からは「獅子の図」が彫られた刀の柄なども出土している。
この時期の祭祀用遺物として、剣形石製模造品が三沢市や野辺地町など数か所で発見されているため、今後青森市でも、同様の遺物を伴ったお墓が発見される可能性も予想される。
なお、古墳時代と言われている4世紀〜6世紀ころの青森市域では、細越館遺跡から5世紀代の土師器が出土しており、当時の遺物が稀少であることから非常に興味深く、この地で生活していた当時の人びとの足跡をたどる上で、貴重な資料となっている。
【考古部会執筆編集員 高橋潤】
※『広報あおもり』1999年2月1日号に掲載
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