![]() しかも、これまでに弥生人の暮らした住居、墓、あるいは弥生文化の象徴ともいうべき水田跡などは、全く発見されておらず、彼らの生活を知り得る手がかりは、唯一「土器」だけである。とはいえ、その土器も全遺跡分を合算しても、ダンボール箱で数箱分という状況である。
また、市内の遺跡には、北海道において本州の弥生時代に相当する時期に盛んだった続縄文時代の代表的な この後北式土器は、環状列石をシンボルとする小牧野遺跡から比較的まとまって発見されており、北海道との交流を物語る貴重な資料となっている。 青い森と青い海に囲まれ豊かな自然を背景に花開いた縄文時代と、空白ともいえる極端に資料の少ない弥生時代。・・・なぜ、青森の地に弥生時代の遺跡が数少ないのか。 当時の人びとは、気候の冷涼化に起因して青森の地から立ち去ってしまったのであろうか。その原因解明が、今後の課題である。 【考古部会執筆編集員 遠藤正夫】 ※『広報あおもり』1998年12月15日号に掲載 |
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