
「昔々、ある所に・・・」で始まる昔話は、“いつ”・“どこで”ということがない。ところが伝説は、“いつ”・“どこで”がある。
青森、特に深沢地区にも古くからの伝説がある。そしてそれは、樹であったり、石であったり、山であったり、沢であったりする。そんな中でひとつの流れを持ったものに、「義経伝説」がある。それは、兄頼朝(からの難を逃れた義経が、海へ出て北上し八戸の松崎海岸へ上陸した。その後、蝦夷地に渡るため陸路をたどったのだが、ちょうど野内まで来たときに「貴船(神社」があることを知り、京都で過ごした懐かしさもあって旅の無事を祈願した。
そのころ義経を慕って来た浄瑠璃姫(と出会うのだが、旅の疲れから姫は卒去してしまった。義経は、姫を神社の裏山に埋葬し塚を建て、旅を続けた。しばらく行って葦が生い茂る原でかぶっていた母衣((流れ矢を防ぐための武具で鎧の背に負い、また飾りとしても用いられた)を取られたが、先を急ぐあまり、そのまま通り過ぎてしまった。後にその地を『袰懸(』と呼ぶようになったという。また、松尾明神を奉った神社があると聞いた義経は、それも京都の縁と参詣したのだが、神前に供えるものがないために、身に付けていた「ハバキ(脚半)」を脱いで供えた・・・ということから、松尾神社(松森一丁目)を別名『ハバキ神社』と呼ぶようになったと言われている。
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▲貴船神社 |
その後義経は、道を横内の方に向かったらしく、四ッ石には、供をしていた弁慶が持ち上げたと言われる大石が残っていて「力石(」と呼ばれている。
今、私たちの身の周りに語り継がれてきたものを思い出してみることも、また興を誘うものではないだろうか。
【民俗部会調査協力員 三上強二】
※『広報あおもり』1997年9月15日号に掲載
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