あおもり今・昔130

蛍沢遺跡

 蛍沢遺跡は、青森平野南部の標高約35メートルの丘陵地にあり、ここに大規模な住宅団地、戸山団地を造成することになったことから昭和51年(1976年)に発掘調査が行われました。
 調査予定面積は約1万平方メートルと、当時県教育委員会により進められていた東北縦貫自動車道青森線や青森県総合運動公園建設などに伴った遺跡の発掘調査に匹敵する大規模なものでした。
 当初予定を大きく超えた1万2千平方メートルを発掘調査した結果、縄文時代早期・中期・後期・晩期・弥生時代後期・平安時代などの様々な遺構や遺物が発見されました。
縄文早期の貝殻文土器(蛍沢AII式)
▲縄文早期の貝殻文土器(蛍沢AII式)
 中でも、縄文時代後期(約4千〜3千年前)終末の集落や、62軒におよぶ竪穴住居跡と5棟の掘立柱建物跡が発見された平安時代の大規模な集落の発掘は、青森市や県の歴史解明に大きく貢献することとなりました。
 加えて、蛍沢遺跡は青森市では数少ない縄文時代早期(約9千〜6千年前)の遺跡であることも分かりました。
 貝殻紋で文様を描いた土器は、縄文時代早期の中頃のもので、従来知られていたものと文様が様々な面で異なっていたことから、蛍沢AII式と名付けられました。
 縄文時代は、草創期から晩期まで大きく6期に分けられていますが、これをさらに細く区分しています。
 その際、区分の標識として、初めて発見された遺跡の名前などを用いて型式名が付けられます。
 市内の遺跡で型式名として用いられているのは、この蛍沢遺跡だけであり、この面でも蛍沢遺跡は青森県の重要な遺跡として位置付けられています。
【考古部会執筆編集員 三宅徹也】

※『広報あおもり』2004年9月1日号に掲載


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