野木遺跡の様子については、すでに先月号で解説してありますが、ここの遺跡からは貴重な遺物がたくさん出土していますので、今月もその続編、平安時代の出土遺物についてをお届けしたいと思います。 平安時代の出土遺物は 炭化遺物には、炭になったイネ(コメ・椀に盛られたご飯)・オオムギ・コムギ・アワ・ヒエ・キビ・ダイズ・アズキ・アサ・トチが確認されています。 量的にはアワ・ヒエ・キビよりもコメ・ムギ類が多く、これらが主食とも考えられています。 土器の多くは遺跡内と五所川原須恵器窯跡で造られたものですが、北陸系の特徴を持った土器も出ていますので、その方面からの移住者もあった可能性があります。
この点数は今のところ、どちらも県内最多となっています。 墨書土器の中で特に注目されているのは「」と書かれた土器が5点もあることです。 この「」の文字は、これまで「蝦夷」の「夷」の異体字とされてきましたが、ここの遺跡から出た「」の墨書土器などを検討した結果、神仏にタテマツル意思を示す「奉」の字が『奉→→夫→大』のように記号化した字形とみる、新たな解釈が発表されるきっかけとなりました。 そのほか「・丈・万・十万・△」などの文字・記号も確認されています。 野木遺跡からは前記以外にも多くの貴重な出土品があります。 野木遺跡は平安時代の遺跡の中では県内最大級で、当時の生活と文化を見直す上でかけがえのない情報源となっています。 【考古部会執筆編集員 北林八洲晴】 ※『広報あおもり』2004年8月1日号に掲載 |