この分野では特に戦争関係が圧倒的に多い。 明治10年の西南戦争戦没者の供養碑「死節碑」(善知鳥神社)は、時の県令(知事)山田秀典が建てたもので、彼が西南戦争の最激戦地であった熊本県出身だったことと無関係ではあるまい。 明治35年1月の第五連隊八甲田山遭難に関係する碑は、「歩兵第五聯隊顕彰碑」(幸畑陸軍墓地)や、「歩兵第五聯隊第二大隊遭難記念碑」(馬立場)などがある。 わが国の対外戦争関連では、日清戦争では、「日清戦役忠魂碑」・「凱旋記念」(いずれも合浦公園)、明治28年台湾で戦死した3人の慰霊碑「惟勸○」(油川熊野宮)(四字目は削りとれていますが「忠」と思われます。読みは、「ただもってちゅうをすすめる」、あるいは「これちゅうをすすめるのみ」でしょう。なお、「」は「以」の異体字です。)などがある。また、日露戦争では「凱旋記念碑」(廣田神社)をはじめ、戦勝を記念して神社標石や燈籠を建立している場合も多い。なお、善知鳥神社に「安方町凱旋記念碑」が建てられていたとされるが、現在は不明である。満州事変関係では荒川八幡宮の献燈などがあるほか、太平洋戦争の戦没者を慰霊するとともに平和を祈念する「平和の礎」(油川熊野宮)などがある。 消防・警察関係は意外と少ない。目下確認されているものとしては、青森県消防協会が建てた慰霊碑「義魂碑」と「青森県殉難警察官忠魂碑」(いずれも合浦公園)がある。 【近・現代部会部会長 末永洋一】 ※『広報あおもり』2003年5月1日号に掲載 |