あおもり今・昔108

箕(み)

 青森市内の農業も昭和30年代にはいると急速に機械化され、牛馬による耕作からトラクターへ、鎌による稲刈りからバインダーへ、そして稲刈りから脱穀までをこなすコンバインへと農作業も変化してきた。
 収穫量の向上と労働時間の短縮をもたらした農機具の技術的改良は、農家の人たちが生活の中で使用してきた民具にも大きく変化をもたらした。
 ここでいう民具とは、生活するために欠くことができない道具として作り、使われてきたもので、基本的には機械が作ったものではなく、人間が手で作ったものをいう。伝統的な民具の多くは、木をはじめとして竹、(わら)、石、草など身近にある自然物の素材を生かして作られていた。現在はそれらの素材が金属やプラスチックなどに変わり、日常生活からだんだんと消えていっている。
 このような変化の中で、今でも農家の庭先や農具小屋で見うけられるものに、末広の形をした箕がある。
 箕は籾摺(もみす)り後の米をはじめ、各種穀類を入れて上に放りあげ、風によって殻、(ちり)などを選別する農具で、どこの農家にも2〜3枚あり、穀類を干したりするときにも使われる。
 箕には板箕、皮箕、竹箕、藤箕などの種類がある。写真の箕は、縦は藤の(つる)、横はイタヤで組み合わせて編んであり、一部に(かば)(山桜)が施されている。この箕は昭和40年頃に弘前市東目屋から来た「箕売り」から購入したもので、当時から高価なものであったという。
 「箕売り」は、秋の収穫作業が始まる頃、真っ白い箕を10枚ぐらい重ねて肩にかけ、手に(ほうき)を持ち、人が集まる精米所に来ていた。作業の合い間に、地元の人達と作物の出来具合いなどの話をしながら、使い手の嗜好(しこう)を聞き取って帰り、次の年の同じ時期にもやって来て箕や箒を売りさばいていった。
 箕は殻と塵を選別し、はじめて実を採ることができる農具として、収穫の最後の大切な役割を果たしてきた。そのためか、破れたところには渋紙(現在はビニール紐)を貼って補強し、使用後も放って置くことなく、常に所定の場所に掲げられてある。
 ついこの間まで身近にあった民具が、気がついてみると、だんだんと消えてしまっていることは残念なことであるが、農家の軒先の箕だけは、今でも暮らしの息吹きや先祖たちの手のぬくもり、語らいまでも伝えてくれているように感じられる。
【民俗部会調査協力員 村上直人】

※『広報あおもり』2002年11月1日号に掲載


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