あおもり今・昔107

カジェヅギ(数え月)のシトギ

 「シトギ」とは、(うるち)米と(もち)米を半々とか、三対七の割合などで一晩ほどウルガシテ(水に浸して)、水をきり少し乾いてから、臼でハダイテ(粉にして)トオシかシノ(ふるい)でふるって、水を加えて形を整えた食べ物のことです。全国的には神仏に供える、晴れの日の特別な食べ物とされています。市内の主な農村部でも、これを旧暦の12月にさまざまな神様に供え、下ろしたものを家族で食べたといいます。
 旧暦の12月は「カジェヅキ(数え月)」ともいい、一日はお岩木様、二日は羽黒様、五日は恵比寿様、十日は稲荷様、十二日は山の神様などと、それぞれの神様の年取りの日になっており、ほとんど毎日のようにシトギを作っては供えました。
シトギ鍋(オヤギナベ)
▲シトギ鍋(オヤギナベ)
 食べ方は、シブド(囲炉裏)のオギ(炭火)の上に乗せて表面を焼き、皮が張ってから、アグ(灰)の中にイゲデ(埋めて)蒸し焼きのようにします。皮が張っているので灰の中に入れても大丈夫で、灰を払って食べます。また、シトギ鍋という浅い鍋に油を引いて焼いて食べることもありました。本来は中には何も入れないようですが、家によっては好みで小豆や黒砂糖などを入れます。
 お正月のお餅でさえも、家で()かなくなってから久しいですし、おばあさんたちから話をうかがっても、「昔は12月といえば子供たちもシトギを楽しみにしたものだが、今の若い人たちは誰もそのようなものは食べないし、作らなくなった」といいます。
 生の米を粉にして作るシトギは、生米を()んで食べる風習とも関係があって、以前には生のままで食べていたのが、次第に煮たり焼いたりするようになりました。横杵(よこぎね)の使用によって今の餅が搗けるようになるまでは、このシトギが晴れの日のあらたまった食べ物であったと考えられています。
 津軽地方では旧正月にシトギを作ったともいわれ、青森にも昔ながらのシトギ文化が、つい40〜50年前まで受け継がれていたのです。
【民俗部会執筆編集員 清野耕司】

※『広報あおもり』2002年10月1日号に掲載


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