あおもり今・昔92

鉄鐸と錫杖状鉄製品

 青森市野木にある新町野遺跡から、錫杖(しゃくじょう)状鉄製品と呼ばれる奇妙な鉄器が出土している。全長が15.5センチメートルで、先端が左右に分かれて環状部をつくり、そこに鉄鐸(てったく)と呼ばれる筒形の鉄製品をいくつか下げている。形が仏教で使われる錫杖に似ていることから、このような名前がつけられた。1998年に県教育委員会が発行した『新町野遺跡・野木遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書第239集)によれば、この種の鉄製品は青森県で6遺跡10点・秋田県で2遺跡3点・岩手県で3遺跡3点の計11遺跡16点が出土している。9世紀末〜11世紀の住居跡や墳墓から出土しており、北東北独特の遺物である。環状部には筒形鉄製品のほかに鉄製の棒や小板を下げる例もあり、これらがぶつかり合って音を発生させる道具と考えられている。
▼野木遺跡出土の鉄鐸(右)と錫杖状鉄製品(左)
野木遺跡出土の鉄鐸と錫杖状鉄製品
▲「新町野遺跡・・野木遺跡」青森県教育委員会1998年の図版を改変
 鉄鐸は、西日本の古墳時代後期〜平安時代初頭の墳墓や宗教遺跡で出土しており、9世紀末に西日本から北東北へ伝播(でんぱ)したように見える。しかし、錫杖状鉄製品は西日本で出土しておらず、北東北の鉄鐸文化は西日本と様相が異なっている。ちなみに、鉄鐸が使用されたのは日本だけではなく、朝鮮半島から中国東北地方、ロシア沿海地方で宗教儀式に用いる道具として広く使われていた。北東北の鉄鐸文化を理解するには、大陸の様子も視野に入れる必要があるだろう。
 中国東北地方やロシア沿海地方、サハリンでは、シャーマン(霊魂との交霊、予言などを行う巫女(みこ)、導士)が鉄鐸の多数ついた服を着用し、踊りながら音を発していた。ロシア沿海地方では、日本海に面したモノストリカ3遺跡(7〜8世紀)から、衣服につけられていたと思われる小型の鉄鐸が多数出土している。また、アムール河流域の10世紀ころの墳墓からは、環状の鉄製品に鉄鐸や鉄棒、鉄小板を下げた資料が出土している。このほか、鉄鐸などは伴っていないが、先端が環状になって錫杖状鉄製品と類似している資料が中国吉林省老河深(ラオハーシェン)遺跡(7世紀)やロシア沿海地方のペトロフスキー墳墓(10世紀前後)から出土している。
 最近、蝦夷(えみし)がロシア沿海地方の女真(じょしん)(10世紀以降の中国東北地方からロシア沿海地方に住んだ民族集団)と交流していた可能性が議論されているが、北東北で出土する鉄鐸や錫杖状鉄製品は、女真と蝦夷の交流を裏付ける有力な資料ではないかと考えている。
【古代部会調査協力員 小嶋芳孝】

※『広報あおもり』2001年7月1日号に掲載


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