あおもり今・昔34

青森弥生人はいずこに

 前回33.でも紹介したように、青森市内の弥生時代の遺跡は、縄文時代と比較し極端に数が少なく、現在のところ、わずかに9遺跡が知られているに過ぎない。
 しかも、これまでに弥生人の暮らした住居、墓、あるいは弥生文化の象徴ともいうべき水田跡などは、全く発見されておらず、彼らの生活を知り得る手がかりは、唯一「土器」だけである。とはいえ、その土器も全遺跡分を合算しても、ダンボール箱で数箱分という状況である。
弥生時代の土器
▲弥生時代の土器
 市内出土の弥生時代の土器は、教科書などに掲載されているような、装飾がほとんど見られない無文に近いシンプルな土器ではなく、一見縄文土器とよく似た縄目の装飾が施されているところに特徴がある。
 また、市内の遺跡には、北海道において本州の弥生時代に相当する時期に盛んだった続縄文時代の代表的な後北式(こうほくしき)土器(後期北海道式薄手縄文土器の略)も見られ、特徴の一つといえる。
 この後北式土器は、環状列石をシンボルとする小牧野遺跡から比較的まとまって発見されており、北海道との交流を物語る貴重な資料となっている。
 青い森と青い海に囲まれ豊かな自然を背景に花開いた縄文時代と、空白ともいえる極端に資料の少ない弥生時代。・・・なぜ、青森の地に弥生時代の遺跡が数少ないのか。
 当時の人びとは、気候の冷涼化に起因して青森の地から立ち去ってしまったのであろうか。その原因解明が、今後の課題である。
【考古部会執筆編集員 遠藤正夫】

※『広報あおもり』1998年12月15日号に掲載


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