あおもり今・昔27

縄文時代の特殊な埋葬

 縄文時代の墓は、一般的に地面に穴を掘って埋葬したものが多いが、縄文時代後期前半に特殊な埋葬方法が現れてくる。その方法とは、遺体を一度土葬して、再びその墓を掘って骨を取り出し、それを甕形(かめがた)土器に入れて再埋葬するものである。考古学ではそのように埋葬された墓を、『再葬土器棺墓(さいそうどきかんぼ)』と呼んでいる。
▼山野峠遺跡 土器棺の出土状態
山野峠遺跡 土器棺の出土状態
〔石室の中に土器棺が安置されていた〕
 国道4号線東バイパス久栗坂トンネルの上に山野峠(さんのとうげ)遺跡があるが、昭和8年に峠の東側斜面から、12個の甕形土器が石室に入った状態で発見され、そのうちの6個から人骨が発見された。人骨は大人のもので、しかも火葬されたものではなかった。その後、西側の斜面から平石を組み合わせた石棺墓が、一列になって7個発見された。このことから、遺体は最初この石棺に埋葬され、のちに甕形土器に収められて再埋葬したものと考えられた。
 倉石村薬師前(やくしまえ)遺跡で発見された再葬土器棺内部の人骨は、一番奥に頭骨があり、それを囲むように腕と脚の骨が立てかけられていた。その様子は、あたかも出産間近の母胎内の胎児の姿勢に似ていた。
 『再葬土器棺墓』は、土器を母親の胎内に見立て、人骨を胎児の姿勢に組み立てて再埋葬していることから、縄文人が、死者の再生を希求した行為と考えられている。また、この特殊な埋葬方法は、村の指導者など、特別な身分の人の死に際して行われたと考えられており、これまでのところ青森県を中心に秋田・岩手両県北部で多く発見されている。
【考古部会執筆編集員 葛西(つとむ)

※『広報あおもり』1998年9月1日号に掲載


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