あおもり今・昔25

三内丸山人の食生活

 三内丸山遺跡で発見された「ごみ捨て場」を詳しく分析すると、当時の人々の暮らしや食生活の様子、さらには遺跡を取り巻く自然環境までもがよく分かる。
 その当時の気候は、現在よりも温暖で、約2度ほど気温が高かったと考えられている。しかし、冬はやはり寒く、雪も降ったことだろう。海は内陸まで入り込んでいて、集落のすぐそばまで迫っていた。そして、陸奥湾を望む小高い丘の上に集落があり、西側には八甲田山に続く落葉広葉樹の森が広がっていた。
三内丸山遺跡から出土した動物や魚の骨
▲三内丸山遺跡から出土した動物や魚の骨
 食料は魚・動物・植物など、自然の恵みを利用していた。魚はマダイ・ヒラメ・マグロ・ブリのほか、アジ・サバ・イワシといった小魚もたくさん食べていたことから、現代と大きな違いはないようである。動物はイノシシ・シカなどの大型動物は少なく、野ウサギ・ムササビなどの小動物がたくさん獲られていた。また、食料としてだけではなく、毛皮に利用した可能性もあるだろう。
 縄文人が最も多く利用したのは、“森の恵み”である植物性の食料である。栄養価が高く、そのまま食べることのできるクルミやクリが大半であるが、トチもアク抜きをして加工されていた。また、ヤマブドウ・キイチゴ・サルナシ・ヤマグワといったものも見つかっており、大量に出土したニワトコでお酒を造っていた可能性もある。遺跡には残らないが、ワラビ・ゼンマイ・キノコなどの山菜もたくさん食卓に並んだことだろう。
 そのほかヒョウタン・マメ・ゴボウ・アサ・エゴマ・ヒエなどを栽培し、食料としていたことも明らかになってきている。
【考古部会執筆編集員 岡田康博】

※『広報あおもり』1998年8月1日号に掲載


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